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【Dead or Alive ?】

W Beyond Good and Evil. 『回り出す歯車』

 艶やかな肩までの黒髪と、隙のない化粧。切れ長の目と口元の黒子が印象的なその女――高藤 綾女たかとう あやめ――は、3年前と少しも違わぬ風采だった。
 つま先から胸元へとゆっくり視線を這わせた彼女は、俺の顔に焦点を合わせるなり、僅かにその顔色を変えて肩を震わせた。

「―――そ」

 彼女が小さく何かを呟こうとしたその時、背後から追いついてきた繭美まゆみが、突如俺と彼女の間を遮るように通り抜けた。

「―――入るわよ、姉様」

 すれ違いざまに憮然と言い放ち、部屋の奥へと進むその苛立った後ろ姿に苦笑を漏らした彼女は、どうぞ、と言い残して妹の後を追った。
 先に立つ彼女に続いてリビングに足を踏み入れると、広々とした開放的な空間が目の前に広がった。
 品の良いダイニングソファセットが設られ、巨大な窓からは眼下に広がる街並みが一望できる。自然光が部屋中に取り込まれ、昼間は照明の一切を必要としない。
 何度訪れてもいい部屋だ。ただ、そんな室内で、陽の光などおよそ似つかわしくない繭美が、ソファで高く足を組み、腹立ちまぎれに細い煙草の煙を吐き出している様だけが不快だった。

「―――約束した時間通り。そして、期待通り……いえ、それ以上と言ったところかしら。お久しぶりね、ダイ。こうして貴方に会える日を、とても楽しみにしていたのよ」

 愚図る子供でも見るような眼で妹を一瞥した高藤綾女は、ゆったりとした動作で繭美の隣に腰を下すと、目で俺の着席を促した。

「妹が随分と迷惑をかけたようね。それについては、謝罪させて頂くわ」
「―――っ?!」

 弾かれたように、繭美は姉の顔を見やった。血相を変えて姉の横顔を凝視しているその様子からするに、これまでの自分の愚かな振る舞いを、海の向こうにいるはずの姉が把捉しているなどとは思いもしなかったのだろう。「ご存じでしたか」とだけ、曖昧に返す。すぐさま繭美が、俺を強くねめつけてきた。

「ええ。先日“花洛の君からくのきみ”にお会いしたの。その時に少々お叱りを受けてね。随分と怒っていらしたわ」

 意外だった。
 “花洛の君”というのは、京都最古の旧家である統城宗家とうじょうそうけの血を引く子女を指す通称だ。現在は、専ら叔母の“統城 玲とうじょう れい”を指すために用いられているらしい。
 その花洛の君として人前に赴く際の叔母は、パラノイアの元オーナー“レイ”として従業員に接する彼女とは全くの別人へと変貌する。
 公人としての彼女は口数も少なく、あまり人を寄りつけようとはしない。普段、近しい者に見せている物腰の柔らかさなどおくびにも出さずに切り替えを徹底するあの玲さんが、公の場で感情を露にするとは俄かに信じ難かった。

「私としても、お怒りはごもっともだと思っていたから、今後一切、繭美を貴方に近づかせないとお約束したわ。でも、この件について、花洛の君は、貴方の意向を最優先すると仰ったの」

 戦慄く唇を強く噛みしめて顔を反らし続ける妹に重い溜息をついた高藤綾女は、「どうかしら」と俺に意見を求めた。
 
「―――貴女が叔母と交わした約束を守ってくだされば、それで結構ですよ」

 予想外の返答だったのだろう。切れ長の眼を僅かに見開いて、高藤綾女は俺の目の奥を覗き込んできた。互いに黙したまま見つめあう。やがて、俺に他意がないと判断したらしい高藤綾女は、短く安堵の息をついた。

「……そう。感謝す」
「―――私は承諾した覚えはないわよっ!」

 突如、繭美は金切り声で姉の言葉を遮った。

「―――黙っていれば図に乗って! ダイ。貴方、自分の置かれている立場が分かっているの? 今の貴方は、姉様の飼い犬も同然でしょう!」
「黙りなさい、繭美」

 低く唸るような声で、高藤綾女は妹を制する。しかし、頭に血が上っているらしい繭美は、姉の言葉に耳を貸す余裕もないようだ。興奮冷めやらぬ様子で俺を睨みつけると、尚も喚き立てた。

「だいたい、姉様も姉様よ! 統城 玲だって、自分の甥が一族の面汚しだと知れば見過ごすはずがないわ! だったら」

 高藤綾女が立ち上がったその瞬間、乾いた音が飛んだ。震える手で左頬を押さえた繭美が、呆然と姉の顔を見上げている。

「―――見苦しい子ね。私に恥をかかせないでと言ってあったはずよ」

 冷やかな視線を浴びせ、高藤綾女は妹を咎めた。

「思い上がりも甚だしい。面汚しはお前よ、繭美。これ以上浅ましい姿を晒すことは許さないわ。統城とでは格が違いすぎることぐらい、お前にも分かるでしょう。本来ならば、お前など言葉を交わせる機会すら得られなかったはず。3年もお情けで相手にしてもらえただけ、有難いと思うのね」

 辛辣なまでに妹をなじるその口調は、静かな怒りに満ちているように思えた。
 眉ひとつ動かさずに自分を見下ろす姉の剣呑な眼差しを受け、やっとのことで姉の逆鱗に触れたのだと理解したらしい繭美は、顔を醜く歪ませて革張りのソファに長い爪をきつく喰い込ませた。汚辱に打ち震えるその横顔に、高藤綾女は更なる追い討ちを放った。

「―――しばらく顔を見せないで頂戴。不愉快よ」

 咄嗟に顔を上げた繭美は、その眼に憎しみを浮かべて姉を強く見据えた。真正面からそれを受け止め、高藤綾女は挑むように妹を見つめ返す。やがて繭美は、分かったわ、と吐き捨てて、逃げるように部屋を出て行った。

「―――煩わしい思いをさせてしまったわね。いくつになっても、あれは私の悩みの種よ」

 高藤綾女は憂鬱なため息をつき、茶を用意すると言い残してキッチンへと姿を消した。
 派手な姉妹喧嘩には辟易させられたが、やけに従順だった繭美の態度からして、どうやらこの姉妹間には、覆せない主従関係が横たわっているらしい。その理由にさして興味はないが、姉の命令に従わなければならない理由が繭美にあるのであれば、俺にとっては好都合だ。やっとあの蛇ような執着から解放されるのだと思うと、心底清々する。
 居住まいを正して室内のそこかしこに設えてあるアートを眺めていると、ほどなくして二人分のティーセットの乗ったトレイを抱えて高藤綾女が戻ってきた。

「信じ難いでしょうけれど、あれでも以前はもう少し分別のある女だったのよ。まったく、惨めな話ね。いい歳をした女が我を忘れるなんて」

 琥珀色の茶を注ぎながら、高藤綾女は「もっとも」と呟き、苦い笑みを零した。

「こうして貴方を目の前にした今は、あれが執拗になった訳も分からないではないわね……」

 香りの立ち昇るカップを俺の前に差し出して、高藤綾女はその細くしなやかな指を自分のカップの取っ手に絡ませた。目を伏せてゆったりと茶の香りを楽み、静かに唇を寄せるその仕草は、あの繭美の姉とは思えないほど優雅で洗礼されている。

「私も色んな男を見てきたけれど、貴方のような男はそうお目にかかれないわ。側における花洛の君が妬ましいわね」

 言って彼女は、美しく縁取られた両眼を細めて俺を見た。

「初めて会ったのは、貴方が16歳になる前だったかしら。当時も貴方は美しく異様なほどに大人びていたけれど、それでもまだまだ愛らしさの残る少年だった。でも、今の貴方は、私の想像をはるかに凌ぐ姿よ。成長という言葉だけでは、とても足りないほどにね」
「お褒めにあずかり光栄です」

 振る舞われた茶に礼を言って口をつけた。ダージリン特有の強く甘い香りと深みのある渋みが、瞬く間に口内に広がる。

「……そうやって、臆面もなくさらりと言ってのける様子も随分と板についたわ。“統城 真一とうじょう しんいち”は、つくづく天に見放された男ね。いいえ、愚鈍な男といった方が正しいかしら。散々玩具にしてきた息子によって、自身の罪を裁かれようとしてるんだから」

 高藤綾女はちいさく噴出しながら席を立った。愉快そうに肩をゆすって、テーブルの上に置かれた白い封筒に手を伸ばす。

「本当に期待以上よ、ダイ。その麗姿だけでなく、貴方はたった3年で私の出した条件をひとつの落ち度もなく完璧にこなして見せた。貴方の精神力には恐れ入ったわ」

 紅梅色に染まる指先で封筒を挟み、もったいぶったような笑みを眦に浮かべて肩越しに俺を振り返る。

「―――私がなぜ貴方を取引の相手にしたか、その見当はついたの?」
「……いいえ。ただ、俺を厭んでいらっしゃるのだとは思いますが」
「厭む、ね。いいわ、完敗よ。約束を果たしてあげる」

 どこか楽しげにそう呟いた高藤綾女は、封筒から取り出したものを俺の目前に晒した。
 黄ばんだ一枚の紙に視線を留めた刹那、それはひらりと裏返された。浮かび上がる色彩を認めた瞬間、激しい衝撃が全身を貫いた。虚を突かれて息を凝らす俺に、満足げな忍び笑いが降り注ぐ。

「流石の貴方も驚いたようね。実にいい顔をしているわ」

 彼女が見せたのは、一枚の色褪せた写真だった。どこかの舞台上で録られたらしいそれには、胸に抱えたバイオリンと共に、カメラに向かって微笑するひと組の男女が映し出されていた。燃え盛る緋色のドレスに身を包んだ黒髪の女。そして、その隣に立つタキシード姿の長身の男―――。男の顔をつぶさに眺めめれば眺めるほど、背筋にうすら寒いものが走る。わが目を疑った。まるで幻でも見ているかのような気分だ。

「―――ねぇ、ダイ。貴方はどう思う? 私はこう思ったわ。まるで……」

 言葉を失う俺のおとがいを指先でなぞり上げた高藤綾女は、身をかがめて俺の耳元に口唇を寄せた。掠れたその続きを、俺は忙しなく働き始めた思考の片隅でかろうじて聞き取っていた。鼓膜に彼女の声が反響する。

 ―――生き写しでしょう?―――と。



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