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【Dead or Alive ?】
W Beyond Good and Evil. 『吊るされた男』
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「―――じゃあ、美愛ちゃんとは、本当に仲良しなのね」
「はい。学校にいる間もほとんど一緒だし、放課後もよく買い物に行ったりします」
「そうなの。……良かったわ、美愛ちゃんに良いお友達ができて。中等部からの子たちと違って、あの子は外部から白蓮の高等部に入ったでしょう。肩身の狭い思いをしていないか心配だったのよ」
ひと通りの食事を終えたテーブルでは、神崎の入れた紅茶を囲んで玲さんと蘭の穏やかな会話が続いている。退席を詫びてバーカウンターに移動した俺は、煙草に火をつけて笑みを交し合うふたりの様子を眺めていた。
「で、美愛ちゃんにはもう話したん?」
「……え? 何をですか?」
「決まってるやんか。君が美愛ちゃんのお兄さんに大告白したこと」
「―――っ……あ!」
神崎の揶揄に慌てた蘭がカップを取り損ね、ソーサーが派手に音を立てた。すぐさま駆け寄った神崎が、テーブルに零れた茶を拭っている。
「……まだ話してないみたいやな。やっぱり言いにくい?」
「何となく、言いそびれちゃってて……」
口篭る蘭に入れ直した茶を勧めた神崎は、彼女の脇に椅子を置いて腰掛けた。すると、まるで示し合わせていたかのように静かに席を離れた玲さんは、俺に目配せをして奥のベッドルームへと歩き出した。蘭は神妙な面持ちで神崎の言葉に耳を傾けている。こちらの動向は一切目に入っていないらしい。俺は煙草を揉み消して玲さんの後を追った。
光源の絞られた室内は薄暗く、天国の寝心地と謳われるホテル自慢のベッドは既に乱れていた。仄かに玲さんが愛用しているアロマの香りが漂っている。仮眠を取ったのだろう。出迎えの際から気になっていたが、やはりどこか顔色が優れない。
音を立てないよう慎重にドアを閉ざすと、背を向けていた玲さんが硬い表情でゆっくりとこちらを振り返った。
「―――聞かせて頂戴。あの女は、貴方に何を話したの」
酷く掠れた問いかけだった。声に先程までの艶が微塵も感じられない。俺を見つめる瞳は焦燥が入り混じり、複雑な色を湛えて揺れ動いていた。
俺は高藤綾女から聞かされた内容をできる限り簡潔に述べ、渡された写真を差し出した。訝しげに視線を落とした玲さんは、忽ち信じられないといった表情を浮かべて緩く首を振った。青褪めたその頬が痛々しいほどに震えている。
「……そう。お姉様はこの男を……。とてもじゃないけど、他人の空似で片付けられるレベルではないわ。やはり真一は、貴方の本当の父親ではなかったのね」
「ええ。間違いないかと」
「―――この國佐田壮士という男の捜索は、あたしに任せて。どうにか調べてみるわ。それから、今回の蘭ちゃんの件から考えても、本家の老人たちの結託はほぼ確定ね。おそらく、何もかも彼らの描いたシナリオよ。でも、困ったわ。相手が彼らだけに、あたしもおいそれとは手出しできない。ここで失敗したら、全てが水の泡よ」
強く口唇を噛んだ玲さんは、苛立たしげにその瞳を光らせた。
現在の統城一族は、後継者争いの雌雄を決するべく、三つの派閥に分裂しつつある。本家の血筋を重んじる勢力は玲さんを担ぎ上げ、本家がもたらす甘い蜜に群がる勢力は、更なる恩恵にあやかろうと老獪共の元に下った。残りは戦々恐々と成り行きをただ見守るだけの傍観派だ。
老獪派の勢いは凄まじく、形勢は玲さんの不利に留まっていた。過去の恩義だけで総本家の名の下に集う親族は極一部で、女性である玲さんが当主の座に就く事に難色を示す意見も少なくない。現当主も病に臥せって余命幾許もないらしく、まさに一触即発の危機にある。いつ老獪どもが強行に及ぶとも知れぬ今、玲さんとしても各派閥の微妙な均衡を保つので精一杯なのだろう。
しかし、だからといって何が狂うでもない。それぞれの役割も最終目的も、障害ですら初めから予測されていた事だ。ひとつ対応が後手に回れば、本家は老獪どもの手に落ちる。そうなれば、目先の利潤のみを追い求める彼らの独壇場だ。これまで築き上げられてきた統城は確実に崩壊し、玲さん自身も退陣を余儀なくされる。それだけは何としても避けねばならない。統城の衰退を見過ごすわけにはいかないというのが、玲さんの一貫した主張だった。
「件の首謀者は、やはり総本家の第二継承権を主張する一派。即ち、貴女の義弟君の後見を名乗り出ている、長老達を筆頭とした反本家勢力だと断言します。第一継承権を保有する貴女を失脚させるのは勿論のこと、総本家の血を引く危険分子の俺も、徹底して蚊帳の外に放り出したかったのでしょう」
「……姉さまが本家を離れたのが20年前。その頃にはもう老人たちの暴走は始まっていたのね」
「―――いえ、おそらくは先代が病床に就かれたあたりからかと」
総本家の長女である母の密通や妊娠は、当時の一族を震撼させる出来事だっただろう。しかし、老獪ども率いる親族会議はこれを機に母に見切りをつけた。体裁や慣例を笠に身重の母を一族の末端である真一に押し付け、母の保有する一切の権利を剥奪した。いくら長女と言えど、嫁いでしまえば本家の中核には関与出来なくなる。そうして爪弾きにし、彼らは虎視眈々と次の足場作りに勤しんでいたのだ。
母を排除した老獪どもが次にお飾りとして選出したのは当然、次女である玲さんだろう。しかし、彼らには玲さんを掌握する事ができなかった。そこで彼らは、第二継承者である彼女の義弟に白羽の矢を立てた。自分たちの意のままに動く操り人形に鞍替えしたのだ。
「まさか、そんな頃から腐敗が広がっていたなんて……。ごめんなさい、ダイ。口惜しいけど、父は完全に懐柔されてるわ。表向きは本家の当主として立てられてはいるけれど、父には親族会議の決定を覆すだけの発言力がない。父の本質は、当主の器には程遠いのよ」
白い掌に左頬をやんわりと包まれた。陰りを帯びた瞳が、俺を見上げて頼りなげに揺れている。
「父親がどこの誰であろうと、貴方は都生姉さまの息子よ。それなのに父は、貴方を遠ざけ続けた。ただひとり血の繋がった孫だというのに。……外道よね。父も……貴方の存在に縋って酷い役目を負わせた私も」
抑揚のないその声色は、自虐的な響きで俺の耳を打った。
こうして嘆きに沈む姿を垣間見る度に、身の切られるような思いに胸が痛む。玲さんとて、本心では当主の座など望んではいない。私利私欲のためだけならば、とうに捨てているはずだ。しかし、彼女は取り巻くしがらみを断ち切れなかった。だからこそ崩れそうな意思を奮い立たせ、意に沿わぬ次期当主争いに心血を注いでいるのだ。そして俺は、そんな彼女の盾となり矛となる事を望んだ。
「……その役目がなければ、俺はあのまま排他的な日々を過ごしていました。貴女の手を取ったのは俺だ。それを後悔するつもりはありません」
「逃れたいとは思わないの? もし貴方が」
「―――俺を生かしたのは玲さんです。それをお忘れですか?」
言葉の続きを遮って、葛藤に苛まれる彼女に緩く微笑みかけた。何を言わんとしているのかはおよそ見当がつく。俺がそれを望まない事を分かっていながら、それでもあえて口にしようとするのは、彼女が鬱積する忸怩を持て余しているからなのだろう。
優しすぎるのだ、彼女は。だからこうして時折、建前の下の本音を覗かせる。一族を束ねる立場にある一方で、個人としての感情を捨てきれず、甥である俺を本家の諍いに巻き込んだ事を未だ割り切れないでいる。
俺とて黙って見過ごしてきたわけではない。そうではない、巻き込まれたのではないのだと何度も否定を試みた。しかし、それだけでは彼女を悔恨の海から引き上げることはできなかった。
言葉だけでは横たわる溝は埋まらない。結局、結果しかないのだ。統城玲を当主の座にのし上げる。その結果を出すことで、片腕として俺を選んだ彼女の判断に間違いはなかったと証明する。それこそが俺に科せられた役割であり、血肉を分かつ愛情に応える唯一の手段でもある。
彼女がその手を伸ばす限り、支え続けると決めた。俺の存在が窮地に射した曙光だと言うなら尚更だ。
「……貴女を生かすのも俺だ。……違いますか?」
懺悔に沈む瞳の奥に問いかける。長い睫毛を震わせて食い入るように俺を見つめ返していた彼女から、諦めにも似た微笑が零れた。それを同意と受け止めて、話の流れを元に戻すべく口火を切った。
「今後についてですが、連中の目を少しこちらに引き付けておこうと思っています」
「……どうするつもり?」
「―――祖父を見舞ってみようかと」
そう切り出した瞬間、玲さんの面に狼狽が広がった。しかしそれはほんの僅かの間で、素早く目を伏せて逡巡した彼女は、やがて眦を決して頷いた。
「いいわ。父は今、京都の別宅で療養しているはずよ。あたしは同行できないけれど、話は通しておく。番犬にはくれぐれも気をつけてね」
「はい。……そろそろ戻りましょう。詳細は追って連絡します」
簡単に報告を済ませるつもりが、思いの外時間を費やしてしまった。あまり客人を待たせるのも気が引ける。あの神崎が相手を退屈させるとは思わないが、蘭を招待した本人が、いつまでも俺と奥に引き篭もっているわけにもいかないだろう。
「―――待って」
廊下に出ようとドアに手をかけた所で、呼び止める声が届いた。
「話はまだ終わってないわ。……何を引き換えにしたの」
投げかけられた唐突な問いかけに瞠目して後ろを振り返ると、先程よりも更に頬を青白く染めた玲さんが突き刺すような眼差しを向けていた。
「貴方はこの3年、高藤綾女の元で何をしていたの。國佐田壮士が姉さまの自殺に深く関与していることは分かったけれど、その情報と引き換えに、貴方があの女に差し出したものは何?」
静かな悲憤が、艶やかに彩られた口唇から言葉に乗って溢れ出す。それは隔てる空間を裂き、鋭利な責め苦となって俺の胸を抉った。
「―――答えなさい、ダイ」
毅然とした口調で問い質す彼女は、向き直る俺にゆっくりと歩み寄った。間近で見下ろす美貌は痛ましいほどに歪み、彼女の内面を占める苦悶がはっきりと映し出されていた。返答に窮する俺に、痛嘆にけぶる瞳が強く語りかけてくる。何もかもを知っていると。その上で問うているのだと。
否定する気も誤魔化すつもりもなかった。かといって、事実をそのまま口にするのは憚られた。結果は同じだとしても、ここで認めてしまえば彼女をより一層苦しめることになるように思えた。
「……答えられないのね……」
引き結ばれた口唇から抑えた呟きが零れた瞬間、白い掌が空を舞った。頬に焼け付くような痛みが走り、力任せに胸元を掴まれる。強い力だった。彼女のたおやかな身体のどこに、こんな力があるというのか。項垂れた彼女の表情は窺い知れない。かろうじて捉えたのは、大きく戦慄く剥き出しの肩だった。
「―――例え貴方自身であっても、“統城醍”を貶める事は許さないわ。よく肝に銘じておいて。こんな惨めな思いをするのは、二度と御免よ」
固く握られた玲さんの拳が、胸をしたたかに打ちつける。されるがまま身を任せ、深く目を閉じた。露見すれば彼女を悲しませる。そうと分かっていながら俺の一存で高藤との取引に臨んだのだから、これは当然の報いだ。甘受する覚悟も出来ていた。
「誰に何を言われても、あたしは傷つかないわ。どんな事をされても、自分を律するくらいの気概は持ち合わせているつもりよ。……でも……、貴方があたしを傷つけないで……。お願いよ、醍……っ!」
悲痛な懇願と共に、俺を打つ拳がやんだ。張り詰めた糸が切れたように力なく倒れこんでくる温もりを抱き止める。震える背に緩く腕を回すと、くぐもった嗚咽が細く聞こえてきた。
泣かせたのは初めてだと、どこかぼんやりと思う。否、彼女は泣いていたのだろう。この3年、俺の与り知らぬところで密やかに。それでも彼女は、今日まで俺の身勝手を黙過し続けてくれた。それがどれほど耐え難い事であったかを慮れば、口先だけの謝罪など何の慰めにもならないように思えた。俺だから傷ついたと、俺だからこそ悲しむのだと言外に含める彼女の労りが身に染みる。俺に向けられているそれを、重荷だと思った事は一度たりともない。しかし、こうして惜しげもなく与えられる恩愛に応えるだけの言葉が、俺のどこを浚っても見出せなかった。欠落を否が応でも意識させられる。益々自分に嫌気が差した。
「……先に戻って。あたしもすぐに行くわ」
深く息を吐いて目元を拭った玲さんは、穏やかな動作で身を離した。俺を見上げる濡れた瞳にかげろいはなく、本来の凛とした輝きを取り戻しつつある。努めて敢然と振舞おうとするその姿に、彼女の覚悟の深さが透けて見えた。
例え立場が逆であったとしても、彼女は俺と同じ選択をしただろう。俺が母を思うのと同じ様に、彼女もまた故人である姉を慕い続けている。共に過ごした日の思い出が優しければ優しいほど、俺も彼女も統城都生を失った悲しみから逃れられない。
だからこそ過去を求めた。母が死を選んだのは何故か。その答えだけを追い続けてきた。母を死に至らしめた原因を解き明かし、本当の意味で統城都生の死という現実を受け入れるために。
ドレッサーに向かう背中に目礼してドアを開ける。隙間から廊下を窺うと、腕を組み壁に背を預けた神崎が待ち構えていた。
「たーっぷり叱られたか? 次、泣かしたら承知せんで」
歪んだ口元から皮肉が滑り出した台詞とは裏腹に、俺を見据える目は不気味な静けさに満ちていた。真っ向から対峙しているというのに、一切の感情が読み取れない。そのくせ、無駄な薄笑いを浮かべてはこちらの不審感を刺激する。何か意図があるのか、それとも単に面白がっているだけなのか。そのどちらともまた別のようにも思える。
どこまでも忌々しい監視者だ。俺が高藤綾女の元で何をしてきたかを知れば、玲さんがどうなるかなど分かりきっているはずだ。彼女を案じているなら当然口を閉ざすべき事柄だというのに、あろうことか俺の醜態を暴露し、自分は平然と彼女の傍らに居座って、嘆き悲しむ飼い主を慰める忠実な犬を演じ続けている。
喉の奥で膨れ上がる暗い怒りをねじ伏せた。どういうつもりだと詰め寄った所で、この男は何も語らない。ただ嘲笑うかのような目で見つめ返してくるだけなのだ。
「玲さんには僕がついてるさかい、君は蘭ちゃんの相手したって。あんまり可愛い女の子を怒らせんようにな」
神崎がゆらりと身を起こすのを認めて部屋の外に出ると、入れ違いざまに肩を掴まれた。
「……反応なし、か。ま、ええわ。その無表情仮面もそろそろ見納めになるやろうし」
微かに掠めた呟きを訝しむ俺には目もくれず、神崎は半身を部屋の中に滑り込ませた。内容に引っかかるものを感じてはいたが、取り合った所でまともな返答は望めそうにない。早々に断念して居間に戻ろうと一歩足を踏み出そうとした瞬間、突然肩を掴んでいた手に力がこもり、強引に身体を反転させられた。
息を呑む俺の耳元に素早く顔を近づけた神崎が、低く押し殺した笑い声を立てた。険を帯びた呼気がざらりと耳朶を嬲る。
「―――こっからが君の正念場や。きっちり型に嵌めたるから、覚悟しとき」
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